沿革
明治17年 | 南方弥右衛門(初代)が紀州侯の籾倉を譲りうけ、酒造業として創業。(博物学者 南方熊楠の父) |
明治23年 | 南方常楠(2代目)が事業を受け継ぐ。(博物学者 南方熊楠の弟) |
明治28年 | 三千石を醸造、全国酒造家造石高西方前頭21枚目にランクされる。 |
明治40年 | 大隈重信候が酒名を「世界一統」と命名する。 |
明治43年 | 兵庫県西宮市に、西宮工場をつくる。 |
大正6年 | アサヒビールの和歌山全県特約となり、卸売業務を開始する。 |
大正15年 | 個人営業より株式会社に改組、社名を南方酒造株式会社とする。(6,881石を醸造) |
昭和10年 | 広島県西条に工場を持ち、製品の販路を国内はもとより、韓国、中国に拡大する。 |
昭和17年 | 南方常太郎(3代目)社長に就任。企業整備のため、西宮工場を閉鎖する。 |
昭和20年 | 和歌山空襲のため、一切の生産設備を焼失する。直ちに復興に着手。 |
昭和30年 | 鉄筋3階建ての乾蔵を建設、生産能力を増強する。 |
昭和35年 | 南方久雄(4代目)社長に就任。ビール、飲料水卸売部門を会社に統合する。 |
昭和41年 | 兵庫県西宮市に灘工場を復元、操業を開始する。 |
昭和46年 | 社名を、株式会社世界一統に変更。南方信雄(5代目)社長に就任。 全酒類卸売免許を取得、洋酒の取扱いを開始する。 |
昭和50年 | 創業以来最高の15,316石を醸造する。 |
昭和51年 | サントリーの洋酒特約契約。第1倉庫(53年)第2倉庫(60年)を建設する。 |
昭和52年 | 現在の主力製品である吟醸<イチ>ブランドを商品化。 |
昭和62年 | 正徳3年(1713年)徳川吉宗によって創設された学習館藩校跡地に、本社事務所ビルを建築する。 |
平成3年 | 南方康治(6代目)社長に就任。灘工場を本社工場に統合。次世紀へ向けての酒造近代化工事に着手する。本醸造<熊楠>ブランド設立。南方熊楠の写真入のボトルラベルデザイン・熊楠筆の粘菌図を組み合わせた化粧箱は当年のパッケージデザイン賞を総ナメに。 |
平成4年 | 約50年間続いた清酒級別が廃止。屋外醗酵タンクによる近代酒造工場と、吟醸・純米酒専用の手づくり蔵を工場内に併設する。 |
平成5年 | テレビCMがおなじみの「白い、白いラベルの世界一統」(←テレビコマーシャルはこちらをクリック)となる。 |
平成16年 | 独立行政法人 酒類総合研究所主催の全国新酒鑑評会にて特醸大吟醸<イチ> 金賞受賞する。(以降、4年連続金賞受賞) |
平成20年 | 蔵元の名前でもあり現在の清酒ブランドの柱となる限定醸造<南方>シリーズを発売。 |
平成21年 | リキュール製造免許を取得。和歌山県産果実使用のリキュール「和歌のめぐみ」シリーズを発売。 |
平成29年 | 南方熊楠生誕150周年記念酒を発売。 |
平成30年 | アジア初の日本酒コンテストである「日本酒品評会SAKE-CHINA」にて「大吟醸極撰南方」が日本一のプラチナ賞を受賞。 |
平成31年 | 「全国梅酒品評会」にて「和歌のめぐみ南部の梅酒」が日本一の金賞を受賞。 |
令和4年 | 南方雅博(7代目)社長に就任。 |
現 在 | 「紀州の銘酒」として地元和歌山を中心に、大阪・東京方面のみならず海外にも出荷。 また、ビール(アサヒ・サントリー)洋酒(サントリー・アサヒ・メルシャン)飲料水(アサヒ飲料・サントリーフーズ)食品等を中心に卸売部門の業容も拡大。 南方熊楠ゆかりの蔵として、講演会活動・文化事業にも取り組む。 |