世界一統の歴史

~「世界一統」の歩み~

創業について

世界一統は、1884(明治17)年に初代南方弥右衛門が紀州藩の米蔵であった土地建物を譲り受け、和歌山市にて酒類製造業を創始いたしました。

その譲り受けた土地は、徳川吉宗侯が紀州藩主就任するまで暮らしていた場所であり、後に藩校が設けられた由緒ある地です。現在も、藩校跡を示す碑が建っています。

世界一統は紀州藩及び徳川吉宗侯とゆかりの深い蔵といえます。

世界一統正門右側にある藩校跡の碑
世界一統正門右側にある藩校跡の碑

南方熊楠と世界一統

「世界一統」の創業者・南方弥右衛門の息子であり、世界的博物学者として知られる南方熊楠は、自然保護活動の先駆者としても名を残しています。

その精神は、酒造りにも受け継がれ、特撰本醸造「熊楠」などに名を冠するかたちで息づいています。

偉人の血筋とともに歩み続けてきた「世界一統」は、今なおその精神と伝統を守り続けています。

南方熊楠

大隈重信侯ゆかりの酒蔵

当社の酒名及び社名である「世界一統」とは、2代目南方常楠の時代(明治40年)に名づけられました。

早稲田大学の創立者であり、第8・17代内閣総理大臣をつとめ、歴史に名を残した大隈重信侯に常楠が師事したことより、侯が紀州高野山に参詣の折、酒名の選定をお願いしたものです。

気宇壮大な侯は「世界を統一」する「酒界の一統」たれといった意味より、ここに「世界一統」と命名されました。なお大正15年まで会社組織を「南方酒造」としておりましたが、株式会社とし、のち昭和46年に社名を酒名と同じ「株式会社世界一統」に変更し、現在にいたります。

前列左から5番目が大隈重信侯
左から4番目が南方常楠(世界一統2代目)
前列左から5番目が大隈重信侯
左から4番目が南方常楠(世界一統2代目)

ロゴ「世界一統」の由来

大隈重信侯が酒名を「世界一統」と名づけたことに、友人である前島密侯も賞賛の辞をおくったといわれています。

明治40年には、前島侯が自筆で記した「世界一統」の書を寄贈しており、現在のロゴはその書体をもとに誕生いたしました。

世界一統の書
世界一統ロゴ